『踊る。遠野物語』における尺八と音楽の構造

先月、「遠野物語」の全国のツアーが無事に終わりました!

バレエにおける尺八の役割について知りたい方は、ぜひお読みください〜

 

 

1.はじめに

『踊る。遠野物語』は、柳田國男の遠野物語が内包する民俗的想像力を、舞踊と音楽によって再構成した舞台作品である。本作において特筆すべきは、音楽、とりわけ尺八が、情緒的効果や説明的役割に留まらず、物語の生成原理そのものとして機能している点である。

遠野物語は、物語の筋よりも「語られる場」「語りの間」「語り手と聞き手の距離」によって成立する文学である。その特性を舞台上で成立させるために、本作は音楽を“語りの代替物”として配置するのではなく、語りが生まれる以前の気配を扱う装置として用いている。

 

 

2.尺八という楽器の選択がもつ必然性

尺八は、日本の伝統楽器の中でも、音高・音量・音色が常に不安定であり、演奏者の呼吸状態や身体の微細な変化をそのまま音響として露呈させる楽器である。本作において尺八が選ばれたことは、単なる民俗的象徴ではなく、遠野物語がもつ「不確かさ」「揺らぎ」「半分見えて半分見えない世界」を音響化するための必然であったといえる。

特に注目すべきは、尺八の音が、旋律よりも先に息の存在を観客に意識させる点である。音は常に呼吸と不可分であり、そのため、舞台空間には「誰かがそこにいる」「何かが息づいている」という感覚が、言葉を介さずに立ち上がる。これは、遠野物語に頻出する、人と異界との境界が曖昧な感覚と深く共鳴している。

 

 

3.音色と微細音量(micro-dynamics)の設計

本作における尺八の音色は、明瞭さや均質性を志向するものではなく、むしろ音の輪郭が揺らぎ、消え際に影が残るような質感が意図的に選ばれていた。

弱音域における表現密度が高く、音量が小さいにもかかわらず、情報量は多い。この微細音量の設計によって、観客は無意識のうちに耳を澄ませ、身体を静止させ、舞台に同調していく。

重要なのは、音が感情を煽る方向に使われていない点である。恐怖や哀しみを直接的に表現するのではなく、感情が立ち上がる直前の不安定な状態を保ち続けることで、観客自身の内部に反応を生成させる。この構造は、遠野物語がもつ「断定しない語り」「説明しない怖さ」と一致している。

 

 

4.間(ま)と沈黙の音楽

本作の音楽的達成の核心は、音が鳴っていない時間、すなわち沈黙の扱いにある。沈黙は単なる空白ではなく、直前に鳴った尺八の気配が残留することで、張力をもった時間として成立していた。

この沈黙は、観客に次の展開を予測させるための待機時間ではない。むしろ、「何も起こらないかもしれない」という不確実性を孕んだ時間として存在し、遠野物語における異界の出現と同質の緊張を生む。

音楽が沈黙を設計することで、舞台空間そのものが“語りの場”へと変質していた。

 

 

5.舞踊との関係性──音が時間を決め、身体が応答する

本作では、音楽が舞踊に追随する構造は採られていない。拍やリズムに身体を合わせるのではなく、音が提示する時間の質に対して、身体が応答する関係が成立している。

身体が停止する瞬間、視線だけが動く瞬間、呼吸が切り替わる瞬間に挿入される尺八の一音は、動きの意味を決定づける。ここでは、音楽が運動を装飾するのではなく、運動が音楽によって生成される。

この関係性は、舞台を「出来事の連続」ではなく、「時間の層」として観客に体験させる。

 

 

6.循環する時間構造と物語性

西洋的な劇伴音楽に見られる、明確な主題提示やクライマックスへの直線的展開は、本作では意図的に回避されている。代わりに用いられるのは、反復・回帰・微細な変形である。

同じ気配が形を変えながら立ち現れ、完全には解消されずに消えていく。この循環構造は、遠野物語が「語り継がれることで形を変え、土地に沈殿していく話」であることを、音楽的に翻訳したものである。

観客は物語を「理解する」のではなく、いつの間にかその循環の内部に置かれていることに気づく。

 

 

7.総括

『踊る。遠野物語』における尺八は、旋律や技巧を聴かせるための楽器ではなく、土地の記憶と異界の気配を呼吸として立ち上げる媒介であった。

音と沈黙、微細な音量変化、循環する時間構造によって、観客は視覚中心の鑑賞から解放され、聴覚と身体感覚を総動員して舞台に関わることを求められる。

本作は、尺八という伝統音響を、象徴や装飾としてではなく、現代舞台の構造そのものとして再定義した試みであり、遠野物語の本質――生活と異界が地続きである感覚――を、言葉に依存せず、身体に刻み込むことに成功している。

 

 

写真提供:Hajime Watanabe

投稿デザイン:ジュリア・ヒル